父娘の混浴 日本では歴史的にアリだが欧米では性的虐待扱い

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海外では子供とのお風呂が虐待と認識されるのは有名だと思う。といっても海外に行ったことはないので、本当の所は知らない。時々そういうドラマをみるくらいだ。

 

だから日本に来る海外の人がどう思っているかも知らない。第一、日本とヨーロッパ、アメリカではお風呂の形が違う。あっちはどっちかといえば風呂おけがでかいだけで湯船ではない。

 

つまりタライの中で寝そべっている雰囲気。それなら日本でも変態かも知れない。

 

日本人は結構、他人の行動に寛大な所がある。これはお国が違えば違う風習があるのは当たり前という前提が故である。これが、江戸時代に涵養されたのはたぶん間違いない。

 

この狭い国土の中に二百数十藩のひしめいていたのである。それが21世紀にも続く県民性などと呼ばれるものを生み出した。驚くなかれ、同じ県の中にさえ、異なる県民性が同居して今に残っているのである。これもまた多様性に違いない。

 

アメリカには50の州ある。南北戦争で争ったように北部と南部ではカルチャーも違う。多民族国家である。移民国家である。様々な人種、ルーツの異なる人々。それをまとめ上げたのが合衆国憲法である。

 

それほどの違いがありながら、お風呂についてはどうやらみんな同じ感情を抱くらしい。ただ変態!と。

 

ヨーロッパである。ローマの時代から、興亡を繰り返してきた地域である。ある意味では世界中の文化の吹き溜まりである。民族の違いがあり、宗派の違いがあり、あれほど血を流しておきながら、お風呂の世界では、日本人を変態!と呼ぶのに一致しているらしいのである。

 

異なる文化があれば、何があっても驚きはしない。そういう話は、スタートレックの中でさえ語られている。異星人の全く違う風習にピカードが一生懸命さであるのが面白さの一つではないか。

 

そう思うと、どうもよく分からない。日本人の方が、生まれが違えばあらゆる事が違うと本能的に理解しているのに対して、この記事に従えば、どうやらヨーロッパの人々はそうは考えないらしい。

 

こうあらねばならぬというのは何かの思い込みであろうか。それとも世界の中心には自分たちしか存在しないと思っているからであろうか。