中国、国連委で突然日本批判 「プルトニウム大量保有」

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日本はもともとコミュニティがひとつであって、同じ知識、同じ考え方、同じ接し方で社会が動くので、逆に言えば外部に対する感覚は非常に鈍感である。

 

コミュニティの大きさがもっと小さければ、市場規模からしても、どうしても海外に販路を求める事になり、自然と外との付き合い方も上手になる。

 

しかし下手に一億という市場を単一民族で、周囲に関係国もなく、形成してしまえたおかげで、かつ、最新のテクノロジーを持ち、運用も可能としているため、閉鎖的な社会を構築しても自分では気づけないでいる。なぜならそれで大多数は困りはしないからだ。

 

例えばアメリカは多民族社会なので、まず常識は疑えという部分がある。握手が親愛の情であるとは限らない。そういう前提に立たなければ成り立たない部分がある。

 

アメリカの多くの人はアメリカという幻想だけが一致している。信仰、民族、思想が違えども、違いの垣根を超えて共有している。合衆国憲法がその象徴であろう。

 

世界の人々はそれほど日本の事を知らない。多くの人は興味もない。中国はそういう人に向けて発言をしている。そういう積もりである。

 

日本人が騒ごうか黙ろうがどうでもいいと思っている。ターゲットは違うのである。seeing is believing ということわざがあるが、では見ていない人は何を信じるか。それは、聞いた事を信じるのである。そして世界中の殆どの人は日本を見る事などまずない。

 

イギリスでの習近平の堂々とした態度。記者がイギリスの首相に向かって「こんな人権無視の人といくら経済的に利益があるからって組んで良いと思うのか?」と問うた時、記者に向かって言い放つ。「私への質問ではない事は分かっていますが、ひとこと答えさせてください。中国は人権保護を重視しています。」

 

これぞ威風堂々。こんなにカッコいい主席、見た事ない。

 

そう本気で信じ込んでいる妄想の人か。思惑があれば嘘など幾らでも口から出る天性の詐欺師か。若しくは漢民族以外など人間扱いする必要もないとと考える人か、故に人権などあるわけないと信じる狂信者であるか。

 

普通は理解不能なのである。そう思ってしまったのならこちらの負けだ。そこでもう手は向こうに渡る。

 

彼らだって自分たちを悪魔の集団と思っている訳ではない。極悪人と信じている訳でもない。人権の重要性だって十分に知っている。人間は大切にしないといけない。そうだ、人間は大切だ。

 

だが、建国の途上において全てが理想通りになる訳がない。彼が号令した所で賄賂で死刑になる人間が絶えない国である。そういう国家のトップに立っている。中華の全員が彼の奴隷なのではない。

 

彼には彼のなすべき仕事があり、この会談の後に来るべきものがある。パフォーマンスは最大に発揮しなければならない。そのために来たのだ。断固たる主席でなければ10億人を束ねられるはずもない。

 

厚顔無恥でもなければ、 有頂天ヲ突いているのでもない。臆病なまでに繊細に事に挑んでいると思った方がいい。

 

赤色も黄色と叫んでいれば次第に黄色に見えてくる。色は褪せ次第にオレンジ色になる。その頃には確かに黄色であったと常識は固まっている。

 

問題は、日本以外の人々がそう思っている事に我々が気づかない事だ。我々がどういう意見を持っているかよりも、世界がどう信じているかがよほど重要で恐怖しなければならない問題なのである。

 

認識の乖離が起きた時に理解不能であると烙印するのは容易い。世界の殆どはそういう容易い人の認識で構築されている。

 

そして鋭い人々は、その上に根拠を置き戦略を立てている。正しいか、正しくないかなど、眼中にない。利用できる世論は徹底的に使うべきだ。自分たちの役に立つ様にひと手間をかけておく。それが大事。

 

実際、尖閣諸島は何十年も前に打った手が今も有効であり続けているではないか。それを認めようとしないのは日本だけになっているではないか。

 

しかも尖閣諸島が目的ではない。その先には南沙諸島がある。その先には太平洋の半分がある。東南アジアの多くの国がもし中国が南沙から撤退するなら、尖閣諸島では中国を支持するという世論が形成されて、なんの不思議のあるものか。

 

押すだけ押してみれば、引いた時に必ず利益を得られる。そういう事を良く知っている。故に、引き際こそが重要である。そんな孫子に書いてありそうな事を、これだけ孫子が好きな日本人は図らずも、あの引き返しようのない大戦争へと突入した。

 

引き際を常に見極める中国を相手にどこまで対抗できるだろうか、そう考えれば、心もとないのである。大政治家とは大外交官である、というのは19世紀以降の世界の常識ではないのか。

 

果たして、日本の大政治家とはどういう人々であるか。