開かない踏切、線路内に次々と立ち入る歩行者…動画拡散「危険」「ゾッとする」 JR東日本「絶対にやめて」

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人間のとっての苦痛は終わりが見えない事である。終わりさえ見えれば耐えられる。一秒先に終わるものでさえ、それが永遠と信じてしまえば、耐えれないものである。だから地獄は無限という言葉と相性がいいのである。

 

30分を僅かな時間と言う。確かに結果論で言えば30分はたかがアニメ1話分である。決して待てない時間ではない。しかし、見通しの立たない30分は永遠に等しい。多くの人は待ちが発生した時に、大体の見通しを立てて行動を決定する。この程度なら待つかという風に始める。

 

で、その閾値が超えた時にどういう行動に出るか。当然、延長が第一の候補なのである。それまでに費やした時間を無駄にしないための最有力候補だからである。しかしではその延長は何回間まで可能か。何分まで可能か。そこは各人の性格と経験に依る。

 

もしアフリカのどこかの国なら今日の始発は明日にならないと分からないよと呑気に生きる事もできるだろう。それが日常ならそれに問題はない。環境に合わせて生物は適用するものである。

 

しかし日本は違うのである。新幹線は10分単位で正確に出発する。環状線ともなれば3分おきに来る。そのような首都圏で30分はほぼ永遠である。危ないを理由に呑気に待てる人間が生き抜けるほどこの国に余裕はないはずである。

 

短気なら3分後でさえ怪しい。何時間待たせれば気が済むんだ!と怒り心頭は必然であろう。これは全て情報が濃霧状態にある事に起因する。何時間後という見通しを立てるための情報が十分にないのである。

 

そういう状況になれば、当然、待つという選択肢は最優先でなくなる。バブル崩壊からの抜け出すのでさえ待つ事はせずに動こうとして小泉改革に託したのである。その結果は滅亡に向かってまっしぐらである。座して死を待つよりは無茶苦茶に動くべし、どこかの流派の奥義である。

 

では、遠回りでも迂回して向こう側に渡る選択が第一候補となるか。そのためにはどれくらいの距離と時間が必要かという情報がいる。

 

そういう決断をした人もいるはずである。その場合のコツは、たとえ途中で踏切が空いたとしても損をした、失敗した、決断を間違えたと思わない事だ。あの状況ではこれが最善であった。結果が伴わないにしても散歩と思えばいいのである。いいラーメン屋でも見つければラッキーである。

 

でもそれでは損したと思う人だってきっといる。それが大多数だと思う。迂回している途中で踏切が上がる。損をした。そんなあなたに良い解決策があります。

 

どうせ動きはしないのである。踏切を渡るのに必要な時間は10秒。ここで1800秒も費やす理由はどこにもない。この10秒の間に電車が動き出す可能性は極めて小さい。別の電車が通る可能性はあるにしろ、しっかりと左右を確認すれば横断歩道とそう変わるものではない。

 

目の前の遮断機が邪魔である。それさえ超えればたったの10秒。何の障壁もない。そして明らかに瑕疵があるのはJRである。老人が徘徊して電車を止めたら何千万も請求する企業である。ならば通行人を30分も止めたのであるから、幹部総出で切腹すべき事例であろう。

 

もちろんこうなった最初の原因が線路に入った人にあるなら、監視カメラくらいはあるんでしょ?という話である。それは我々のビジネスではない。

 

電車が停止した時の情報の伝達が兎にも角にも下手である。正しい情報を伝えなければならない事と、確定した情報を伝えなければならない事の違いが理解できていない。こちらが欲しいのは確定情報ではない。将来を見通すための情報である。正確でなくてもいいから状況を伝えよ。

 

これは日本全体で見てもそうなる。情報処理に関しては明らかに遅れつつあるようにと思える。必要なのは見通しを伝える事のはずである。正確な情報ではない。拙速を尊ぶとは、見通しで押し通すという意味である。

 

見通しである以上、常に訂正する必要はある。それは百も承知だ。まして全く逆でしたもあり得る。そんなの謝罪の理由にならない。ある時点での情報が錯綜するのは戦場では日常である。

 

だから伝える情報にはその確か度が欲しい。だが戦場で飛び交う情報は流言から噂、勘違い、思い込み、その混沌の中から確からしさを抜き出す取捨選択が士官の腕であろう。

 

可能性ばかりでも、ないよりましなのである。その時点の見通しによって動く事ができる事が重要である。そのために必要なのは、何が起きたかではない。

 

原因が何であるかを知りたいのは見通しを立てるのに役立つからだ。何分後にどうなっているかを把握したいだけなのである。だから、どれくらいの作業が発生しているのか、その進捗は1分あたりにどれくらい進んでいるのか。その結果として全体が終わるのはどれくらいと考えられるか。

 

その見通しをこまめに出す。可能なら何分後に更新するかを伝えるべきなのである。

 

そういう状況の最たるものが雪の中で動けなくなった場合であろう。鉄道に閉じ込められた乗客がいる。これからどれくらいの見通しで動くのか。その結果次第では様々な事が変わる。

 

まず最初は何が起きたかを伝える事である。停止した原因は何か。原因は分からないが電車が動かなくなった、停止信号を受信した。など現状を伝える。そりゃ駅員でも全ての原因を把握していない事など了承済である。

 

雪で立ち往生したにしても、雪の重さで動けない、故障した、雪の為に木が倒壊したなどが考えられる。では、原因が分かったなら、その原因を取り除くのにどれくらいの時間が必要か。そのための手段は何か。救援部隊が必要なら到着するまでどれくらいが必要か、蕎麦屋の出前と同じで「杉野はいずこ」という話である。

 

今出ましたと答えるのは、キャンセルさせないための常套句であるが、余りに酷いなら据えかねるなら家から出前の自転車でも見えたくらいでキャンセルの電話を入れてもいいくらいだ。

 

だが、鉄道の立ち往生ではそうなってはならない。常に現状を正しく伝える方がいい。正しいとは不明は不明と公開するという意味である。もし目の前に火球が迫っていて助かる可能性がないという場合は優しい嘘もいいだろう。しかし、一般的にそんな事はない。遠方にゴジラの姿が見えたら優しい嘘の前に放射線障害でばたばたと倒れる。残念!