『このマンガがすごい! 2024』1位作品発表

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漫画の基本形には幾つかある。その中で最も典型的な構造は能力系だろう。才能とはだいたいが早熟の意味で使われ、生まれつきある基準に達している、素人から初めてある基準に達するまでの時間が早いという場合なので、能力の有無とは厳密には異なる。才能あって敗れた者など死屍累々と白骨街道に散らばっているのである。

 

努力が大切というテーマは主題となっているものはだいたい能力系と言ってよく、基本的には地道な本当の意味では最も重要である練習の過程は省略される。仮に描いたとしても、必殺技などの発見、悩みの解決、気持ちの変化など、ストーリーの岐路として使用する場合に限られる。

 

これに対して物語が環境を主人公たちに提供する。基本的にはそれが世界観であって、詳細に見れば、社会の仕組み、敵対の組織、ライバルの人物などで、『世界観×能力』が漫画の基本形となる。

 

古代から物語の中心は、人間離れした者が、異世界への冒険であり、未知なる知識の獲得をし、元の世界に戻ってくるものである。冒険譚が人を刺激するのは、そこに自分を重ねる何かを見ているからだろう。奴隷主の物語はあっても、奴隷が主人公となる事は少ない。アンクルトムのようにそれなりのテーマを担わなければ主人公に抜擢されない。

 

変化点のない日常を描く物語もある。それでも起伏は必要とされていて、私小説のようにうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじと綴られるだけの心象風景の描写みたいな作品はあまりない筈である。漫画は絵画と異なり、コマが割られ時間経過を描く必要がある。時間経過があるという事は変化する必要がある。

 

物語のコアは共感だろう。共感は立場や感情に対して寄り添うものが多いと思われるが、これも一種の能力系であって、共感する能力というものが備わっている必要がある。

 

突出した万能感で世界を支配する系か、共感によって人生に寄り添う系のどちらのフォーマットになっている。静かな作品でも変化が必要で、ゆっくりとした感情であっても、どこかでカタルシスを必要とする。

 

能力の特殊系に知識作品がある。知識作品とは情報提供する作品で、学習漫画、教科書系、歴史書、図鑑などがこの系譜にある。それに物語性を組み込んだ作品のうち、その筆頭にて至高の極みにあるものが『美味しんぼ』である。

 

作品のテンプレートは知識の上書きを重ねて読者にカタルシスを提供する。『ラーメン発見伝』がその後継作品にあたる。「情報を食っている」は、究極にして歴史的到達点である。

 

最近はSNSという新しい媒体の登場で1~8ページの短編で面白い作品が沢山登場してきた。これは一種の漫画の俳句化ではなかろうか。

 

自衛隊

  1. うぐいす歌子(@frgunsou)
  2. フカキショウコ(@fukaking)

異世界

  1. ぴえ太(@camoy_ghost)

歴史系

  1. ふたば(@baccheuo)
  2. 零(@zero_hisui)
  3. 亀(@rekisikei)
  4. トマトスープ(@Tsoup2)

 

などなど、漫画は新しい媒体で新しい表現に向けて試行錯誤を繰り返す。

 

https://imgur.com/a/FO2Pk#12の次のような漫画もある。

Welcome Home Darling

imgur.com

 

漫画の主人公で能力が一切ない、全くない、という作品は少ないと思われる。ある能力がどのような場面で発揮され、それが世界のどのような問題と邂逅するか、この組み合わせが基本形だと思う。

 

焚火を見るだけの映像やイージーリスニングが流れているだけの空間と同様の漫画があってもいいとは思う。だが、あまり見聞きしない。もちろん、詩歌や小説にもそういうものはあるだろう。現代音楽があれだけ雑音を作品にする時代である。ナンセンス、シュールなどを目指したものがない訳がない。

 

絵画、音楽はカメラの発明から印象主義象徴主義と変革を強いられた。漫画はこれからも変わってゆくはずだ。特に日本は手塚治虫の子孫と言ってよいと思うが、日本の漫画に刺激されて、世界中にこの表現方法が拡散している。

 

そこでは手塚治虫を知らない漫画書きが生まれるだろう。知らないとは読んだと言う意味ではない。その程度なら日本の若い作家の中にもいるだろう。そうではなく手塚治虫の文法を知らないという意味である。

 

知らないが故に新しい表現が出来る事がある。それが生み出せる可能性は日本以外の方が高い。漫画なのに漫画なのか、これみたいなものがアフリカであるとか中國とかから生まれても何も不思議はない。マタギガンナーのJuan Albarranはスペイン出身だそうである。mangaは世界共通語だ。

 

どのような作品も作者が血を流しながら自分の限界到達点の少し先に限界突破して突き刺したペグである。漫画の世界はそういうものがゴロゴロとしている。これからまだまだ充実してゆくのは間違いない。豊富な土壌では過去作品のリメイク、リビルドも充実する事も疑いようがない。それは原作となってアニメや実写、映画にも広がってゆく。

 

そして漫画評論も必要となってゆく。学問としての漫画論は必須であろう。物語と絵、プロットとネーム、キャラクターの関係などに分解してゆく方法と、感動や人気から出発して社会的な背景を分析してゆく方法が主な方法だろう。

 

作品の構造を分析する方法と社会からみた影響、世相との関係性を分析する方法があると思う。

 

必ず面白いには理由がある。そのエッセンスを掴み取りたいというのは人間の活動のひとつの在り方だし欲求でもある。それは漫画にとどまらず絵画、音楽、文学、映画、漫画、アニメーション、彫塑、デザイン、工学、物理学、化学、数学、ビジネスとどんな分野でも必ずある。歩くだけの行為でも深く考える人がいる。

 

分析に優れた話を聞くのは面白い。他の追随を許さない程の深みを感じるのはエキサイティングな経験である。作者だけではない。出版社だけではない。豊かな土壌が様々なものを生み出してゆく。

 

この先で『能力系』以外の構造を探検したい。