BRZはCMで興味を持った車だった。ちょっと気を引かれるデザイン、スバルの六連星エンブレム、プレアデス星団。久々にカッコよく映える車に見えた。
ただ日本車のデザインは一見さん歓迎と言う所があって飽きが来るのも早い。これは長く鑑賞に堪えられるデザインだろうか、というのが第一感。
ドイツ車というよりフェラーリ―に似てるのかも知れないというのが第二感。
でこの車はスバルとトヨタの共同開発。SUBARU BRZとTOYOTA 86。似ているようで違う。違うようだがよう似ちょる。不思議な関係だ。
試乗した評論家の言では、車の性格は違うらしい。だがそれ以上に写真のせいかもしれないが、デザインから受ける印象が違う。ここが面白い。
ほんの小さな違いを丁寧に組み立てるとこうも印象が変わるのか。TOYOTA車の一番美しい所は後方の扉周辺である。86も然り。一方で顔やお尻はBRZの方が好みだ。
86は着飾ったボディコンおねいさま、腰のラインがセクシー。BRZは美人だがカントリーガール、好きだよ~♪って感じ。
これをデザインした人達は、デザインとは何かについて考えるいい機会ではなかったか。共同開発という制約があるから同じではあってはならない。全然違うものであってもならない。
そこに何を投入したであろうか。TOYOTAらしさ、SUBARUらしさ、そこを考えなかった者はいまい。それでもカンパニーの色などあってないようなものだ。
この細部の違い、印象の大きな違い、というのは面白いものだ。こうしたデザインのちょっとした違いに何故こうも鋭敏であるのか、視力から脳に伝わり像を結び感情を呼び立てる。その過程で美しいとかカッコいいだのという重みづけをする仕組みがこの脳髄のどこかにある。
どの細胞達がどう刺激されそう判断するのかは知らないが、現在記憶のストア、経験のフィルタリング、関係情報のクエリー(問い合わせ)、それを一瞬にして好嫌という感情にする。
考えて意味づけをしたり、感じて模索する、神が降りる瞬間を待つ。デザイナーがまずそれをやり、それを見る者が其々に追体験する。デザインはこれまで見てきた何かであり新しい何かでもある。