“封印された狂気”をテーマにする映画『るろうに剣心』最新画像を初公開

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なんじゃ、このポッキーで書いたような頬の傷は。

 

最近古本で買って読んでみた。面白いと言えば面白い。和月伸宏には武装錬金というマンガもあるがこれも面白い、というか作者の人の好さが忍ばれる。

 

しかし、惜しむらくは時代が悪かった。鋼の錬金術師がほぼ同時期(鋼錬が先)に連載され、同じ錬金の戦いという場では圧倒されてしまった。

 

武装錬金るろうに剣心は漫画としてみれば似たようなものに感じられる。しかし圧倒的に面白いのは現代劇の武装錬金よりも幕末のるろうに剣心と感じる。漫画の持つ時代背景と絵柄とキャラクターが一致したからだろうか。

 

不思議である。いろんな要素が一致しなければ生み出せないキャラクターというものは。頬の傷一つとってもあれ(十字)で良かったのだと思われてくるのだ。


で実写化である。漫画を実写化する場合、色々と困る事がある(だろう、当事者でないので知らないが)。漫画はキャラクターをデフォルメする。例えば、ブラックジャックの髪の毛とか、古代の長髪とか、島の短髪とか、サザエさんの髪型とか、剣心の頬の傷とか。

 

これらは記号である。漫画的な記号である。これをそのまま実写化すると、子供が風呂敷を巻いて遊んでる感が満載になる。

 

剣心役の俳優を見た時に思ったことを一行目に書いた。こういう日本映画の残念感が本当に嫌いで、全てを台無しにする。全てのリアリティが失われ、拒絶され、お遊戯になる。

 

リアリティのない実写を否定するわけではないが、それを目指した実写化とは思えない。舞台ならばこれも有りだろう、そう思う。

 

もちろん剣心の実写での剣術シーンはとても力を注がれていて、そこにリアリティを注力していると思える。それらのシーンはリズム感もとても良い。

 

舞台演劇、歌舞伎、能、バレエ、映画、サイレント、漫画、小説、人形劇、クレイアニメセルアニメ。表現形式の異なるこれらのプロダクトにおいて、その世界を決めているものは”背景”にあるのだと気付いた。

 

背景との調和、が作品世界を決定する。特に意識されないが、背景が鑑賞者に決定的な情報を提供する。そこでの調和、不協が作品を複雑な味わいを与えてゆく。

 

そういう意味では和月伸宏と言う人の画力は幕末の風景がとても似合っていた、とも言える。線の持つ力が背景を産み(アシスタントという説もある)、キャラクターはそこにいる立っている。

 

どのような作品であれ、製作者は背景をどうするかに多くの意識を取られるべきなのだろう。景色を見せる、背景が正しければ作品の8割は完成したも同じだ、二秒前、脳内で閃いた。