東京都で出版が規制されるらしい。反対を表明している表現者は多い。出版社も反対している。
だが、誰も東京都から出ようとしない。引っ越しを準備しているという話もきかない。誰が税金など払うか、そういう気になれない程度の表現の自由なら規制されればいいんだ。
刑罰法規に触れる性交や婚姻を禁止される近親者間の性交を不当に賛美・誇張して描写したもの
規制の問題は、権力側が自由に断罪できる事。書類を書く側の自由意思によって恣意に禁止できる事。これが「ペンは強し」の本当の意味だと聞いた事がある。リシュリューで検索すれば誰かが教えてくれる。
これは、書類にサインする事は、書類で動かす軍隊よりも強い、という意味だ。執行するサインさえすれば、剣など幾らでも動かせる、という意味だ。
だが、これは東京都限定なので、東京で売らなければ良いだけの話である。表現者であれば、東京から出てゆけば良いだけの話である。
調度、本の売買はネットにシフトしつつあるし、幾ら漫画が売れなくなってきていると言っても致命的ではないだろう。あと、アメリカ大使館にでも行って、その敷地内で売らせてもらえるように交渉するとか?
政治的に阻止したければ、名古屋よろしく、リコールすればいい。憲法裁判所で争う手もある。だだし憲法がこれを禁止していると主張しても裁判官が認めなければ合法になる。骨抜きは簡単だ。
なによりも、いまいましいのは、地方分権を目指しているこの国にとって、地方の長である東京がこの体たらくである事だ。
表現の自由と、社会正義の対立は、個別にそれぞれで対応してゆくしかない。それは漫画(やアニメ)という表現の価値はあと何年生き残れるか、に尽きる。それは法律や地方が決めるものではない。所詮は首長など投票数で殴りつけるしかない。それか金だ。経済は正義である。
何も少年ジャンプにセックス描写を載せろといっている訳ではない。それは出版社が決める事であって行政は関係ない。法律で律するようなものではない、というのが大前提だ。
恐らく規制されたら、強い自主規制が働いて、漫画そのものから活力を奪うだろう。それがエロ描写という例え局所的な価値観であってもだ。なぜならこれは最初の門であって、敵だってここが最終地点と思ってるわけではない。
出版社が漫画、アニメではもう商売しない、というのなら別だが、そうでないなら、面白くない漫画が増える事は死活問題にならないか?これは、単に表現の自由という西洋発祥の権利の問題ではない。
社会的問題という俎上に上ったが最後、ありきたりの事しか描けなくなる、という活力の問題である。そこにシフトする。学習漫画にも面白いものがある事は否定しない。政府広報の漫画にも目をみはるものがある事は否定しない。しかし全てをその色で染めてよいのか、という話である。
社会正義などと言う、当たり障りのいい価値観でもって、消失させても構わない倫理観が決められ、CMに出てくるような似非家族や恋人ごっこなどを見せつけられている現状で、漫画がああなっても満足できるのか。
怖い事は、規制ではない、それはおかしいと戦う人が居ない事だ。それは粛々と収容所の門に向って歩いてしまう事だ。それは人間の行動の原理だから変えられない。
だから、捕まえられる前に逃げるしかない、そういう話だと最後は思われる。過去の歴史を見ても決して勝てる戦いではない。時間を稼いでおいて、そのうちに逃げる準備をしておかなくては、回避行動に移る準備をしておかなければ、間に合わない。
問題は性描写をしない作家とも団結できるかだ、必ず敵は分断を試みてくる。国家撃破は常に正しい。そのための分断である。カムイ伝の最終回を思い起こせ。
大東京トイボックス(6)では条例について取り上げている。パトレイバーは児童売買について取り上げている。