乳がん検体取り違え 別の患者の乳房を誤って切除 千葉

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「改革に取り組む」という以上、具体的な施策など何もなかったに決まっている。もしあったら、既に改革とはいうまい。具体性のないものは何も実行できない。恐らく、センターは未だ五里霧中、暗中模索であろう。

 

しかし、この痛ましい事故は起きた以上、解決を図るしかない。それは金銭の賠償しかあるまい。それ以外の方法はないし、それが500万程度であれば、殺人を犯して禁固1ヶ月みたいなものだ。50億くらいは請求してやれ。

 

これは医療過誤とは呼べまい。事故で済ますべきではない。事件で処理しなければいけないケースだ。担当者らは当然として、センター長もだ。

 

だが、どうすれば良かったのだ、どうすればこういう痛ましい事故が減らせるのか、と問われれば答えはすこぶる簡単。ダブルチェックすればよいだけである。必要と思われる地点で何回もダブルチェックする。小学生だって確かめ算くらい知っている。

 

答えをだす。もう一度やる。可能な限り別の方法で。異なるふたつのやり方が同じ結果を示すならば、それは極めて正しい(必ずではない、よって事故は絶対に0にはならない)、という事になる。

 

なぜ彼らがそういう簡単で確実な方法を取らなかったのか。たぶん費用が高くなるからであろう。コストが伸び時間も増える。コストだけなら耐えられても時間の増加には耐えられない。辺りが落ち所だろう。コストとタイムは有限である以上、その中でやりくりにするなら、ダブルチェックなどは真っ先に省略する対象である。

 

だから、答えはひとつの方向に向かう。よし、了解した。ダブルチェックをしなくてもいい。その代り、このような医療過誤を犯した時は、ダブルチェックをしていた方が結局は安く済んだと思うほどの賠償を請求する、もちろん、民事だけでは済まさない。刑事罰も厳しく追及する。

 

そういう方向に行かざる得ない。これはどこかで聞いた話と思えば、恐らくアメリカの医療がこの方向で来たのだ。その結果、盲腸一切れ400万という状況である。

 

ふたつの良い所取りが可能なのか、不可能なのか。需要と供給が自然とある一点でバランスを取るとされているが、これは市場での価格だけの話ではないだろう。医療過誤もどこかでバランスを取り均衡せざるをえない。それは理想的な形ではないので、どうしても被害者が生まれる。

 

そこをどう対応すべきか。見捨てるのか、1億分の1だから無視するか。殆どの人には関係ないかも知れないが、確実に人生を狂わされる人がいる事について、どれだけの補償が、どの程度の罰則が、妥当か。

 

これは、単なる事故ではない。これは、正義に関する問題だ。しかも、その場限りで終わる問題ではない。社会設計そのものに触れざるを得ない。だから先送りにする。誰もそんな重い荷物は背負えない。人を見捨てる方が楽だ。

 

本当に?