若者よ、想像して その宴会・行動の先にある感染リスク

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この病気は全年齢層で重症になる危険があるが、統計的には若い人は比較的軽症で済む事が知られている。免疫獲得が有効かどうかは科学的に根拠がない。何度も感染したという報告もあるが、それは体内に残っている場合であるという話も聞く。

 

いずれにしろ、若者に想像しろと言う時のリスクは彼ら自身のリスクではない。もっと年を取った人たちのリスクである。さて、何時までそんな話が通用するか。

 

もちろん、疾患を持っている人、障害を持った人がいる事は承知している。大多数でないにしろ、健常者と比べてリスクが高い人は決して年寄りだけではない。

 

だが、若い人たちからすれば自分たちの体力にものを言わせて感染を促進する戦略はありうる。若い人にさっさと免疫を獲得してもらって、その後から年齢を取った人が少しずつ後追いで感染してゆく。これは感染数ではなく重篤化にフォーカスする戦略である。

 

感染数の制御とは、医療機関がオーバフローしない事を目安とする。つまり、若い感染者と高齢者の感染者では用意しておくべき人工呼吸器の数が異なるという理屈だ。

 

逆に言えば、人工呼吸器の数が有限だから、その数から逆算すれば、一度に何人までが感染できるか、その許容人数が計算できる。この人数に従って計画的に感染を進めてゆこう、そうして全体の集合が免疫を獲得してゆく。この戦術は、さて可能だろうか。

 

もちろん、若い世代であろうが、高齢者であろうが一定数の死亡者が出る事は回避不可である。既にコロナ肺炎はSARSよりも多くの死亡者を出している。

 

1918インフルエンザは、患者数6億,死亡2000~4000万(6%)と言われる。コロナ肺炎は65万、死亡4万(4%)でぼほ匹敵する。今も感染絶賛拡大中である。

 

韓国では既に、隔離飽きが発生しているという。日本だってそれは時間の問題であろう。特に、高齢者のために若者が我慢するという構図であれば、若者たちからすれば守る義理はない。

 

若い世代はこの数十年間、経済的に追い込まれてきた。この国では若者から金を吸い取るために派遣を増やし正規雇用を減少させてきた。それをやってきたのはもちろん老人たちである。今回もまた我慢するのは若者の方なのか、そういう気持ちに必ずなるだろう。もうたくさんだ、見てください、と叫ぶに現在は最適な状況だろう。

 

自分たちを貧困に追いやった老人(竹中平蔵など)を守るために若い世代が本当に我慢をしなければならないのだろうか。本当に自分たちの楽しさや生活の基盤を犠牲にしてまで隔離に付き合わなければならないのだろうか。

 

それには自ずと限界がある。そして、若い人たちが若さを頼りに活動を始めれば、日本は、隔離政策を強制するために非常事態宣言をする事になる。

 

だが、命の問題ならば、若者たちだって黙ってはいないはずだ。日雇い同然の雇用を強制してきた以上、その限界は長くて2か月。遅くても5月末。そこが限界だ。命を懸けても経済活動をしなければならない所まで追い込まれた人たちは、自分の免疫だけを頼りに再開するだろう。

 

その時に、老人を守るために、という言葉がどれだけ響くか。怖ければ家に閉じ困っていてください、生活に必要な物資はすべて僕たちが配達します。僕たちが経済活動を支えます。インフラを維持してゆきます。

 

暴動を防ぐためにも、地域毎に緩やかに感染させてゆくという方式をとるしかないように思われる。爆発的感染を防ぐとは、緩やかに全員が感染する以外に、道はないように思われる。

 

だから暴動が起きる前に若い人たちから積極的に感染を始めるのは有望な気がする、それをコントロール下で実施してゆく計画を早急に立案しなければならない。そして感染した人は心置きなく経済活動に邁進する。夜の街だろうが、ライブハウスだろうが楽しめばいい。

 

そのためには隔離と解放を地域毎に制御してゆくしかないはずだ。そして多くの若い人が軽傷で済む点でこのバイルスは幸いだった。世代に関係なく重症を引き起こす病気だったらもっと打つ手は少なかったはずだ。

 

たぶん、感染する以外にこの病気と対峙してゆく方法はない。そして、緩やかに感染をしてゆくとは、医療崩壊をしない間隔で感染してゆくという意味である。その方法のひとつがワクチンであるが、さて間に合うか。

 

東京都は2月から準備を始めて3月末まで500床を用意した。大都市圏でこれくらいだから、関東圏なら神奈川、千葉、埼玉と併せて1000~2000床があると仮定する。

 

これだけの人が重症になっても医療崩壊はしないとここでは仮定する。

 

すると、若い人の重症率を10%とすると、関東圏では一度に10000人の若者が感染可能という事になる。1000万の関東で若者を500万人とすると、その全員が感染するのに、500xn日が必要という事になる。nは平均の治癒する日数。

 

この計算だと1日で治っても全員が感染するのに2年はかかる。若い人でこれだと、全体で何年が必要か。来年の冬が今年ほど温かいとは限らない。だがワクチンの登場を考えれば、この戦略はワクチン登場までのつなぎでよいはずだ。

 

ではワクチン登場までに100万人の若者が感染するのが現実解であろうか。少し経済を支えるには少なすぎるか。緩やかに罹る方法も相当、現実離れしている。隔離も困難、感染も困難、するとどうするか、何らかの薬の登場で状況はガラリと変わる。この好転待ちが現状の結論である。

 

結局、アメリカのように医療崩壊しながら爆発的感染する方が被害は大きいが立ち直りも早いという話もあるし、被害が大きすぎて立ち直れないという話もある。疫病で滅んだ国家は幾つもある。だが、それがどの年代を直撃したかも併せて考えないと妥当な結論は得られない。

 

経済的に支えるのも、ここまで経済活動が停滞すると、そう何年も続けられるはずがない。

 

要塞で籠城するのは、外部から援軍が来る場合のみ有効な手段である。しかし、全世界が要塞に閉じ困っていたら、いま備蓄しているものが欠乏してきた時に何が起きるか。あと数が月で国家間の略奪が始まる、その可能性は十分にあると思う。そして、それがヨーロッパで起きても不思議はない。

 

機械生産が止まるだけならまだいい。農業生産や社会インフラまで停止したらどうなるのか。そう長くは持たないはずである。

 

そうなるくらいなら、全員でこの嵐の中に飛び込む方がいい、という覚悟は今の時点で始めておいても悪くないと思う。それが避けられる事を期待しつつ、想定はしておく。

 

Hope for the best and prepare for the worst、Is there plan B?

 

明日、目が覚めたら全てが嘘だったらいいのに。そんな朝にいつまでも耐えられるはずがない。人間が狂気に陥るくらいなら、全員が理解した上で粛々とコロナが敷き詰められた道を歩く方がましだろう。それが例え、どこへ続く道だろうと、人間であり続ける方が望ましい。

 

だが、もしこのウイルスの感染者が不妊症になる、そんな合併症を持っていたら。そんな空想をするだけで空恐ろしくなる。

 

まさか科学が無力で宗教に頼る時代が来るとは思いもしなかった。しかし、今、人々が対面しているのは、死を恐れなければもっと簡単に解決できる、という事象である。