不備把握もスピード優先=防衛省、システム改修へ―大規模接種

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自衛隊の考え方は、国外の軍隊と同様に、あるものを最大限に利用する、あるものでやりくりするのが基本であろう、そういうものを根っこから鍛えられている集団だろうと思う。

 

今ないものを嘆くより、今あるものだけを搔き集めて体制を整え対抗手段を講じる、勿論、技術的発展がこれだけ激しくなれば抵抗にも限界は来る。その上限を踏まえた上で、最低でもどこまで反抗しきれるかは早い時期に見極める。そういう癖も身に着いているはずである。

 

戦争下においては相手もこちらも次第に資源が減じてゆく。よって新たな補給が絶対の要件であるから、戦争とは補給が続かない方が敗北する、戦略とはこの補給をどこから叩くかにあり、戦術とはそれを物理的に不可能とする手段である。

 

ワクチン接種は、畢竟、注射器とワクチンと患者さえいれば可能である。よってこの3つを揃えれば業務は完遂できる。もちろん、それぞれに課題が山積しているし、そのどれかが供給を断たれれば、そこで継続は不可能だ。

 

よって軍というものは補給を如何に継続するかについては、強引さも必要だし、それを支える法律も整備されている。そういう全体像を見れば、誰が撃つ順番かを決めるかは制度的には重要だが、作戦遂行上のプライオリティは低い。どうしてもとなれば手あたり次第でも構わないのである。少なくとも自衛隊からすれば。

 

良きに計らえ、来た人にひたすらヴァクチネートする。だから人を集めるのも自衛隊の仕事か、という処から論じないといけない。

 

拠点はある、そこに人を集める、1000万の大都市で1日1万人の高齢者を1箇所に集めなければならない。本当にそれは可能なのか、という点については検証しているはずだ。それでもやると誰かが決めたのだ。その人の明察をこい願う。

 

だが、人を集めるのは自衛隊の得意分野であるはずがない。それについて日本で最も多くの経験を積み豊富な知見を持っているのは恐らくコミケの運営者たちだ。その人達に声掛けがあったかはもちろん知らない。

 

しかし、そういう人たちでさえ、対応しているのは生きのいい、この3日間だけで燃え尽きてもいいという覚悟で集まってくる人たちである。高齢者の移動をそれだけの規模で経験したのは、後は福島第一原子力発電所事故で避難に従事した人たちだけではないか。それだってあらゆるものを置いてゆくような経験だった。平常時の中の平時ではなかったはずである。

 

1箇所にベースを作ってそこに人が集まってくる方法と、小さなキャラバンを組んで、あちこちを回ってゆく二つの方法に大別できる。大規模であるなら動けない。動いてゆくなら小さくせざるえない。大規模なら数は減る、小さくすれば大量に用意できる。これは生命が進化の過程で編み出した生殖の基本戦術である。

 

最初にシステムを受け取った人も、触ってみて唖然としただろう、だが今さらどうする。予約など飾りです、偉い人にはそれが分からんのです。我々の本分は来た人たちにひたすら射つ体制を構築する事です。それ以外は些細です、と言いたいだろうが、それさえも自衛隊の責任にされそうである。

 

これを作った人は何日でこれを作り上げたのだろう。どんな仕様書を手に、どのような指示で、どれくらいのチームで製造したのだろう。

 

いまあるもので戦うしかない。目の前にあるのが、これなら、これでやってゆくしかない。その自衛隊の当然の行動原理が、しかし、なぜそんな武器しか持たせてやれなかったのか、その程度の装備で送り出すしかなかったのか、と思うのは戦艦大和の出航を見送った人たちと同じ気持ちではないか。

 

なぜ失敗ばかりをトレースする?なぜ三八式の寓話を繰り返す?

 

所で、アメリカではワクチンが行き渡りワクチン済の人はマスクをしなくて良くなったとラジオで聞いた。本日のアメリカの感染者数は28000人、日本のそれは3700人。人口比で考えても日本の数値は不思議である。人数だけみれば今日でもアメリカの方が深刻なはずなのに。これから爆発的感染をするのか、それともこの数値を維持してずっと続くのか。