三菱電機の不正調査アンケート、上司が回答妨害か 調査委が厳重注意

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三菱電機のテレビは若干安いので買い目ではある。しかし、使っていれば全体的には満足だが、細かい所が余りに酷く、技術的な稚拙さ、ユーザに対する配慮不足などが目立つ。

 

その酷さの根底にあるものがユーザビリティへの軽視である事は想像に難くない。もしかしたら技術的な限界なのかも知れないが、使っていてきめの細かさの欠如には頻繁に気付く。

 

そういう訳で三菱電機については良い印象と悪い印象が混在しているのであるが、Sharp の次はきっと三菱電機だろうとは想像していた。Sharpが消えた市場に上手く入り込んだビジネスチャンスを生かせなかったのか、それとも不運だったのかは知らないが、テレビからも撤退すると決めたそうである。

 

「組織の三菱、人の三井、結束の住友」と言う著名な評があるが、どの強みであろうが、良く動けば威力を発揮し、悪く回れば自らを滅する。どのような環境で、どのような自分たちの強みを発揮するか。

 

つまり、人を見るべきなのである。江戸時代までは、人を見る目を養う事が武士階級の人たちの鍛錬の本道だった。人間を見る事に全てを掛けていたような所がある。そこで誤ったらさっさと腹を切ればいいくらいに覚悟していたとも思える。

 

次第に人の価値は学力となり、それは学歴となり、ついにはそれが組織で重要視されるようになると、人間を見る眼力は組織が要求する必須ではなくなる。それは一部のひとたちが片手間で手に入れる能力となる。

 

多くの人間に違いなどない。ハンモックナンバーが1だろうが100だろうが人材としてその優秀さにそう大きな違いなどない。だから、その番号で決めた所で実はそう大きな失敗はしない。それくらいに人を育てる事には注力していた。併せて同期の結束力が、そういう順列をよく補い人材の欠陥をも補完しあうものであった。

 

おそらく終身雇用制まではそのような考え方で十分であった。出世したい人も、技術職でいたい人も、営業職の人も、組織の中での出世の他に、別の価値観をその企業の中に見いだす事ができた。出世しなくとも生きて行ける環境があった。

 

それを失えれば、組織はただの出世の手段でしかない。誰かを助けても自分を不利にする。ライバルは失敗してもらう方が得だ。ミランダ警告である。彼を助ける事はあなたの出世を不利にする可能性があります、と言われる組織で、どうして団結力を発揮しよう。

 

団結力が発揮できなくなれば、恐らく別の何かで人をまとめ上げるしかなくなる。それが上司からの圧力であり、調度、中国共産党がそういうやり方で世界を席捲している。習近平は自分が悪評を打ち立てれば、その後の世代が楽に仕事をできるという目論見があるのかも知れないが、中国共産党が世界をどのように見ているかはそう難しい問題ではない。彼らは外など見ていないのである。彼らの行動原理は内側だけで決定する。

 

同様な事が日本企業でも起きれば、外で何を言われようが、仮に社長が記者会見で謝罪しようが、何も響かない。二重規範があるに違いないのである。弁護士が厳重に注意した所で、社内組織が、人事部が、それを無視する限り、蛙が池で泳ぐのと変わらない。

 

身内に優しいのは勿論、組織内では重要である。何があろうが身内を守るという人の自然な感情が、しかし組織に於いては時に致命的になる。陸軍はそれで道を誤った。上司たちを問答無用で降格処分にすれば、恐らく同じ不正は一掃される。

 

しかしそれで行動原理が変わる訳ではないから、それ以外の所で何かが噴出するに違いない。全員が組織を守ろうとして、またはそれが自分を守る事にも繋がるとして、良かれとして行動した結果である。だが、それが本当に正しいのか、それとも批判されている通りに、間違った行動であったのか。内には内の言い分がある。

 

政府が人事権を握れば、簡単に官僚の行動原理が変わったように、企業風土を変えるなど簡単である。どのような行動が出世するかを示せばいいだけである。だが、その結果が、企業を強くするとは限らない。人事の大転換は時に企業を廃業させる。

 

三菱電機の人たちは、今、人材についてどう思っているのだろうか。自分たちの製品にある程度の自信は持っている事は間違いない。エンジニアの集団なのである。どうして製品以外の事は上手くいかないのだろう。この国の企業はいま分岐点にいる。