出世する人は"仕事ができない"ことをさらけだす?

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昔、西郷隆盛という人がいた。今の若い人は見たことないだろうけど、そりゃ偉い人だったんだ。

 

で、この人、若い時は算盤もできて事細かな仕事ぶりでとっても有能な官吏だった。ところが年を取って来て、ある日に、それを止めた。

 

たぶん、思う事があったのだろう。若い連中に仕事をさせて自分はぼんくらの振りをし始めた。いや、もしかしたら本当にぼんくらになったのかも知れない。実際に上に立ってみたら本気で何をすればいいのか分からなくなったのかも知れない。これはぼんくらで行くしかないと思い至ったのかも知れない。

 

だが、上に立つとはそういう事だ、上に立つ人間は分からぬ事をするのが仕事だ。分かる事は部下に任せればよろしい。分かる事をするような仕事は止めて、ただ胆力を練ることだけに注力した、そう本には書いてあったかな。

 

もちろん、部下の仕事ぶりなど見ていれば分かる。何度も口を出したいと思っただろう。自分と比べてやきもきしたであろう。俺がやったほうがもっと上手くできると思っただろう。

 

だけど、それは言わない。胆力を磨くとはそういう事だ。凡そ大きな事をなそうとした時、自分ひとりだけの力では出来ないと悟ったから。誰かの力を必要とすると分かったから。

 

それまでの立場から上に立たなければならなくなった時、上に立つ在り方を練ったと思われる。坂本に「少し叩けば少し響き、大きく叩けば大きく響く」と言わしめた。これはどこまで叩けばいいのか、底が知れないという意味だろう。

 

どうやら大将というのはサーバである、と言えそうだ。相手が何もしなければ何も返さない。しかし何かを送れば何かを返す。どれほど大きく問われてもそれに見合った者を返す。

 

算盤を弾いても答えの出ない世界を見だしたのだろう。彼はそこに何を見ていたのだろうか。

 

それは良くわからない。

 

西郷は算盤をはじくのは得意であったが国を作るという点では大久保利通に劣る。この国の骨組みを作ったのは大久保一人ではないけれど、それでも大将は大久保ではない。西郷である。

 

今も残念な事に大久保の人気は低い。オーベルシュタインの人気がないのと同じくらいに低い。西郷という人に国造りのどのようなビジョンがあったかは知らないが、あの国難にあって彼がいなければ維新は全く違ったものになっていたであろう。

 

つまり彼とは大久保にしろ、木戸にしろ、伊藤にしろ、高杉、坂本、吉田、勝、云々
誰一人として欠くはない。

 

要するに西郷という人は苦労して馬鹿になり、心胆を練って仕事ができない振りをしたのであって、仕事ができない人間にはあれだけの仕事は成せまい。そこはお間違いなきように。