ほぼうなぎ、値段も本物? 焼き、タレ、皮目、こだわりに込めた思い

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実名入りで朝日新聞に記事を書く金子智彦という記者の最初の数行を読んで腰を抜かした。こいつは新聞を読んだ事がないのか、それとも活字を理解する能力が欠落しているのか。

 

ネットニュースとほぼ違いのない宣伝記事を書いて金をもらう、如何にも朝日新聞であるが、もう潰した方がいいのではないか、この程度の雑誌なら。

 

うなぎを買い求めるハードルが「お値段の高さ」と指摘する。うなぎの問題はそういう点ではなかったはずだ。どこをどう引っ繰り返してもSDGsを標榜する出版社が打ち出す言葉としてはありえない。

 

「お値段」という言葉である。値段に「お」をつける風潮。仕事を「お仕事」と呼ぶ。女も男もテレビの芸能人はみんな「お仕事」呼ばわりである。

 

この感覚はどこから来るのだろう。雰囲気としては仕事を誰かからもらっている、頂いているという尊敬語の感触である。だから敬意を込めておを付けて呼ぶ、仕事を貰った人に失礼があってはいけない。そんな事をしたらハブられる、という本能であろう。

 

その根底には仕事を貰っているのは決して自分の実力だけからではないという前提があるのだろう。自分と同じ立場の人間など幾らでもある。ほんの少しの気分で幾らでも置き換えられてしまうのだ。

 

いや、全ての仕事は天下の周り物であろう。大統領職であろうが、首相職であろうが、清掃職であろうが、交通整理職であろうが、どんな仕事も回りに周って自分の前に来る。そういう意味ではベルトコンベヤーの前で仕事をする姿は社会を象徴する。

 

会社勤めともなれば、仕事は社内の中から始まる。それぞれの人に役割がある。組織的に行動するとは分担するという意味だ。社外と交渉する人、社内で製品を作る人、検品する人、出荷する人、などの仕事がある。その集合体が企業である。

 

その点で自由業の人は、回りまわって自分の所に来るというのをもっと直接的に意識する事になる。道端にある石ころを地蔵と呼んでも何ら失礼ではないが、手を合わせるならお地蔵様と呼ぶ方が好ましい気がする。鍋というよりお鍋と呼ぶ方が食物への感謝している感じがする。舐めろというよりお舐めと言われる方が迫力があるように聞こえる。

 

下手からマウント取る方が圧倒的な実力者なのであるという経験則に基づくなら「お」を付ける事は自分を無意識に鼓舞する戦術かも知れない。「お」を付ける事が丁寧な雰囲気を醸す。それが信用を生む。まるで、女子供はこんな記事が好きでしょう、ストレスの多い日常から抜け出して、ちょっとリフレッシュするにはこんな記事が最適でしょう、勘違いしたオシャレ感を押し出そうとする匂いが満臭なのである。

 

貴様はFMか。FMのラジオか。世界が大戦争している時にも相も変わらず、嫌な世界ですね、早く平和が戻る事を願ってます、では素敵なナンバーをどうぞとか頭の中がゼリーになって溶けだしたラジオパーソナリティか。

 

とってつけたように「絶滅危惧種」の単語ではないのである。このままいけば絶滅必至である。20以下の人は絶滅する前に味わっておけ。病気で死期が近い人も最後だ、味わっておけ。

 

そんな時に「カネテツデリカフーズ」のかまぼこで満足できるはずもないのである。どれだけ出来が良くても必要なのは本物という情報である。そもそもうなぎはタレなのである。お好み焼きがソースの味が決め手なのと同じでタレの力が99%である。

 

だから世界の殆どでうなぎは好んでは食されていない。うなぎは醤油との相性が抜群なだけなのである。だから日本でだけこれほど消費されているだけの事である。

 

味とは、子供の頃に食べたもの、記憶と結びついたものが美味と感じるように出来ている。そして味蕾で感じる味覚など味わいの1%しか占めない。味覚の中核は匂いと食感、歯応えである。

 

だからうなぎが美味いという奴の味覚は全て嘘である。タレがなければ食えたものではない。だからこのかまぼこもタレだけは本物を入手したと語っている。更に言えば、ごはんと一緒でなければ食えたものではない。味など90%は情報だから、タレの匂いと視覚から来る店構えさえおしゃれならばそれで満足できるのである。

 

しかも絶滅危惧種など聞いた事も見た事もないのだから、知識レベルはそのへんの犬猫と同様である。そういう人間が匂いにつられて集まってくる。本物であるかどうかなど気にする訳がない。まともな味覚があるかも疑わしい。白焼きが美味いなどうなぎに飽きた人間の言い訳に過ぎない。

 

テレビや新聞でやってるから店に行く。その行動のどこに人間らしさがあるのだろう。おしゃれなら核が爆発しても何も気にしない気だろう。もし絶滅危惧種と知って食べに行っているのなら、そりゃロシアの手法と全く同じである。ウクライナが欲しいと戦争を始めたロシア人と何も変わりはしないのである。自分の欲には正直とは指摘できるだろうか。

 

そういう世界において宣伝にさえならないこの記事にどういう価値があるのか。これを読んだ読者は何を思えばいいのか。へぇーかまぼこでどこまで味は再現されているのかな。タレは本物を使っているのか。なら味はかなり近いはずだな。さて、今日はうなぎでも食べにいこうかね、となるのは請け合いであるし、それを狙った記事である事も間違いない。うなぎ同盟からお金をもらっているに違いない。

 

うなぎを絶滅させるためになら死んでもいいと言う思想の持ち主が書いた記事である以上、この記者はロシアがウクライナを奪い取る事も賛成のはずである。強いものが弱い者を喰って何が悪いのか。そういう考えが根底にあるのは絶対だ。弱肉強食が自然の掟だと科学ぶって疑わない。

 

弱肉強食など自然の摂理でもなんでもない。肉食の動物は獲物を狩る生活をする。草食の動物は狩りをする生活は必要ない。それだけの行動様式の違いにそこに強弱などあるはずがない。