「機動警察パトレイバー 劇場版」リバイバル上映、告知と異なるバージョンで上映 「上映素材の誤認」と謝罪

nlab.itmedia.co.jp

 

人間にはヒューマンエラーがある。その上で、仕方がない場合と許されない場合がある。その上でどちらとも言えないが起こさない方が望ましいものがある。

 

本質的にヒューマンエラーはゼロにはできないが、それを減ずる方法というのは、各現場で独自の発展をしている筈である。しかし、そこは同じ人間がする事、よって、対策というものは大体基本的にはどこでも類似したものとなり、それぞれの個性は、それぞれへのプラスアルファという形となり存在している。

 

いずれの方法も、やる気がない人ではどうしようもない。能力のない人ならば、ざるになる。だから人材というものが求められる。所がこの人材も過労状態では能力を発揮しにくくなる。組織の維持はトータル的な視点と局所への視点のどちらも欠かせない。

 

ヒューマンエラーを解析すれば、規格された手順の問題、担当者の行動の問題、その背景にあるはずの複数視点の問題が挙げられる。

 

複数人でチェックすべきなのは、人間の思い込みを排除する為。ある文化や方法論に潜む死角を防止するためには外部からの視点を導入する事も欠かせない。決められた手順を確立するのは、知識に基づかない作業でも完成度、品質を一定に保つためである。最低ラインの設定とも言える。

 

それでもどうしてもやる気のない人間では動かせない。you can take the horse to water, but you can not make them drink. 名言の所以である。

 

では、この間違いはどうやって起きたか。幾つもチェックするタイミングがあった筈である。送る側、広告する側、どちらにも複数個所にチェックポイントがあった筈である。そのことごとくを全てですり抜けたのなら、それはチェックをするしないで語る問題とは言い難い。

 

チェックしたにもかかわらず抜けたのならまだ理屈は立つ。しかし最初からチェックしていないなら、この業務の実現までに参加した全ての人、企画した人、媒体を作った人、それを各場所へ送った人、宣伝文を作った人、宣伝した人、全員がその瞬間まで誰も気付かなかったのである。

 

全員が支持された事を機械的に作業しただけなのか、届いたものをコピーして次に送っただけなのか、IT化によりコピーすれば十分なので読む必要さえない、だから全てが抜け落ちたのか。全員が自分の仕事は正しくしたと思っている筈だろう。

 

これが末期的なのは携わった人がだれも有機的に連結していないという事になる。確認し、チェックするという事はしていないと思われる。ただ、作業していますか、しました、というやりとりだけで進んだと思われる。だから、顧客に広く展開した広告を誰も一度も目にしていない筈だ。だから誰も間違いに気付かなかった。どこにもリカバリされた形跡がない。

 

視聴者からの指摘があるまで全く誰も気付いていない様に見える。すると作業した人は、およそオリジナルとリニューアル版があったことさえ知らなかった可能性がある。ならば、全てに対して、全てがこうなったのも理解できる。

 

指摘があって初めて知ったのなら、さて、すると問題の本質は、これらの作業をしたのはバンダイナムコの社員なのか、それとも派遣かというだけだ。派遣の人がやったのなら、これは仕方がない。それに見合うだけの給与は払っていない筈である。

 

原理的に作業指示を正しくしなかった側に問題がある。その意味で派遣業が増えるのは支持をする側の負担が増加し、派遣される側には技術の蓄積が起きないという点で、全体的に地盤沈下する事は明瞭である。

 

それでもそれを選択しなければならないような経済環境を国家をあげて構築しているのだから、順位がずるずる下がって当然と言えよう。既に新自由主義に支配された日本経済では銀行通帳を見る以外に経済に興味のある人材は壊滅したと言ってよい。だから中抜き以外に設ける手段を知らない。

 

もしこの失敗を社員が起こしたのなら、少し理解できない。なぜこんな事が起きた、という話で、最初の企画から、実現するまでの間に、計画がきちんと作成されていない、という結論になるかと思う。

 

計画さえまともに立てられなくなったと言えば話は簡単そうに見えるが、本当は計画を立てるのが最も難しい、と思われる。だから、どうしてこうなったと疑問を感じている人は社外にも社内にもたくさんいるだろうが、だれも答えは見つけられそうにない。

 

そういえば、ニ・三日前には、東北新幹線の連結部が外れるという事故が起きた。不思議である。これが外れそうなまま運航するなど起きそうにないと思えるのである。これも社員か派遣からで分岐してゆく事になる。そもそも危険かもと思っても派遣社員にはそれを伝える経路が存在していないだろう。その義務さえない、とさえ言ってもよい。

 

袴田事件でさえ「無罪を主張した」裁判官(熊本典道)がいたが、それでも残りのふたり(石見勝四、高井吉夫)を説得できなかった。だがそれ以上を望むのは酷だろう。しかもたかが一審である。最高の罰則を受けるべきは最高裁判所の裁判官である事は間違いない。

 

いずれにしろ、どういう手順でどのような作業をした時に、どこに瑕疵が紛れ込んだのか、本当はビデオで撮っておきたいくらいの話だ。そしてそれでもヒューマンエラーは起きる。故にそこに何重かの防止策を入れるのが望ましい。

 

しかし、それらを効率化と生産性の前に排除するのが優れた経営者と呼ばれる時代なのである。それに従って作業を割り当てれば時間的制約も高くなる。時間がないなら、現場でも、これ以上の運用は難しいという事になる。金を時間と知識を与えずに事故が起きるのは当然であろう。

 

とは言え、最終的には企業トップの責任だとしてもそんな抽象論で終わらせるのは面白くない。帝国陸軍の時代から日本は大将は三流、その無理を現場の兵士がなんとかしてきた伝統の国である。その上で、現場でどうしようもなくなった時には破綻する。

 

この破綻するまでは途中で立ち止まれない組織が我が国の特徴である。もちろんここにはバイアスがあり、止められた計画は実現しないものである。しかしこの止められない理由が先人先輩上司への忖度なのだからこの国は救いようがない。誰かの気分を良くするために、組織全体が動く訳である。プーチンロシアかよ、って話である。

 

ゴールデンバウム王朝の末期のような県知事が誕生しているなんて誰が夢想したであろう。自由惑星同盟の末期の宗教と政治家が密接に結びついている政党が存在するなんて誰が予測したであろう。銀河英雄伝説はフィクションとして楽しむSFであったはずだ。予言書と感じる日がくると誰が予想したであろう。