花咲舞が黙ってない #1

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S2をTverで見たら以外と面白かった。これはDoctorX依頼の快挙である(虎に翼は除く)。S2(2015)での上川隆也が若い。と思ったが、S3=2024でも若く見えた。この人は沈まぬ太陽以来のファンである。この人の作品は極力見る様に努めている。ザンボット好きとも言う。とはいえ、遺留捜査はあれだけの俳優陣にしては詰まらなかった。

 

S1,S2では杏がやっていた。このドラマの印籠は、いいえ黙ってません、というセリフで、私、失敗しませんので、と同様にドラマの一里塚、合図である。本話はここを持ちまして終劇へと向かいます、We will arrive at Tokyo terminal in a few minutes.である。

 

そこで悪者?を詰難するのであるが、いかんせん、どういう法律に触れたのか、というようなセリフではない。それなら警察を呼べば終わりである。それを隠蔽するならそんな企業は銀行と言えども倒産必至である。

 

お前、犯罪者でもない人を相手に、人道だの道徳だけで非難しているのか、それはこの社会を舐めすぎだよ、という気もしないではない。幾ら政治家が私腹を肥やすのに忙しいからって、大体の事は犯罪となるように法体系は組まれているのである、という疑念は拭えないのである。

 

とはいえ、あなたは刑法何々に違反しています、銀行法〇条に反しています、労働法違反です、通報します、とかデモリションマンに出てくるモラルボックスではあるまいに、ドラマとしてどうかなという気もしないではない。

 

その場合は主人公は銀行内部の人ではなく、官庁から派遣社員として潜り込んだ捜査員になってしまう。それも面白いとは思うけど、日本人は情緒を重視する人が多いから、この人でなしとか言ってないと理解できないかも知れない。

 

B29の性能を分析するより、竹やりを持って鬼畜米英とする方が余程楽な運用論だった国である。真面目に分析したら士気は下がるに決まっている。そこで何か突破口となるアイデアはないかと広く聞くような国家ならアメリカと戦争する前にもっと模索していた筈である。限られたエリートだけの狭い認識で戦争に進んだ結果でああである。

 

とはいえ環境省の役人が司法判断など無視する連中だから吊り下げる以外に手がないのも真実であろう。スターリンもその手近な手法を採用した。反省を促した赤軍も最後は血塗られた道へと進む。結果は別にすればそれが最も安直で確実な方法なのだ。

 

だから、人道的なセリフは俳優の力量がとてもよく図れるものである。ある意味、最も難しい。少しずれれば陳腐の極みである。平凡とは最も知識が広まった状況である。そういう時に平凡な正論で人が感動する筈がない。感動とは位置エネルギーの大きさだからである。

 

これがもう、批判とヘイトは表裏一体である。強い批判を見ていてまるで良きアメリカの民主主義的法廷を感じる場合もあれば、強い批判を見ていてこれはナチスユダヤ人を追い詰める手法だ、と感じる場合もあるのである。この花咲舞はどちらだ?

 

ニーメラー曰く、彼女が支店長を批判している時、私はいい気味だと思った、彼女が私を批判している時、私のために声をあげる者は残っていなかった。

 

これは批判の中にある言葉が持つの力であり、それを発声する人の感情、正義感である。それが演技を超えてにじみ出てくる。この言葉の中から、何かを感じそこから考えて欲しいという感情の発露であるか、それとも、ここでがっつり追い込んでカタストロフィを味あわせたいという力学の発現であるか、そういう演劇のプランというものは案外、名優、凡優の区別なく観客にはよく伝わると信じる。

 

これらを適切に慎重に使い分けるというのが演技の全てともいえる。そこを左右するには、その俳優がどれほど脚本を読み込み、その世界の背景を想像し、どのような映像が生まれるかと模索している部分である。

 

その俳優がこれまで何を勉強し、社会とどう向き合ってきたか、それは体臭のように自然と匂ってくる。怖いだろう?

 

そういう部分を楽しむ権利は視聴する側にある。何を読み取り、何を嗅ぎ取るかはこちらの権利だ。演技がそうやって試される。怖いだろう?

 

クライムサスペンス系は、実に深みがあって、人間の闇がにじみ出てくる所が作品の面白さであって、そこにキャラクターを埋め込むのはもう脚本の力だけでは足りない。全く同じセリフでさえ、全く違う意味になる。怖いだろう?

 

ドラマを楽しむとは演者の臆病さを解読する事だ、と言えなくもない。そういう点でS2,S3の見比べは実に面白い経験である。