人間と言うのは、マスコミが放送する程に単純ではない。
写真の人達が基地に反対しているように報道するが、もう帰りたいとか、トイレどこかな、なんて思っている人も大勢いるだろう。
純粋に平和を求めている人もいるが、平和の構築をどうやって実現するかまで考えているかは別の問題で、ましてや軍事の理由まで理解しているかも別。
勿論、このような活動が自然発生的に起きるはずもなく、お金をもらって人を手配している人もいる。その人が平和のため、と思って活動しているかどうかは、これも別。
どこから来たのか、何をしている人なのか、どういう利害関係にあるのか。基地に反対なのか、それとも反対する正体は別のものなのか?これも別の問題。
この記事には、本当の問題も知りたい内容が何もない。
だいたい、世の中の99%はお金でなんとかなる。幾ら積めば、賛成してくれる?という疑問は当たり前に生じるはずし、交渉の一丁目一番地だ。
基地は出ていけという。これは植民地化されて存在している基地ではない。ちゃんとした軍事同盟に基づく友好国の基地である。同盟国をそこまで毛嫌いしなくても、とも思う。
そこまでアメリカが嫌いな理由は何?何と交換なら妥協してくれるの?高校生や小学生に平和と言わせて報道するけど、平和って何かをちゃんと聞いてみたの?
平和は考え始めたら難しい。子供の唱える平和に、国を左右させるだけの価値を置くのか?
マスコミというのは、日本でも平均的な日本人で構成されているだろう。それなりの学歴を持ち、それなりの勉強や経験をしてきた色々な多くの人で構成される。日本でもそれなりの組織力をもった組織である。つまり日本人の代表的組織のひとつとして考えて良い。
その組織が放送したり、発行する記事に、欲しい情報はなく、うすっぺらな、知りたい事が何も書いてないとなるなら、それはこの国全体がそうなっている、と思っていいだろう。少なくとも、統計学によれば、そう思って良いはずだ。
この国の平均的な人が集まる、平均的な組織が、そう思うのであれば、それはこの国の平均的な能力と見なしてよいと思える。
だから、この記事がこの国の能力を表している。
だが、マスコミというのも、新聞社も含めてゴシップ誌に過ぎないから、売れる事だけを考えているならそれはバイアスのかかった代表的振る舞いと言う事になる。
TVの画面に映る人は、自分のイメージの向上だけを考えている。そういう人たちが、この記事に何を込めようとしているだろう?
売れそうな記事に仕立て上げようとするに決まっている。それが第一義の能力だ。人間というのは単純ではない、ひとつの記事にひとつの思いだけを託すなどどうして出来よう。どうやらこの記事からそういう事実は読み解ける。
だが、どこに沖縄の報道があるのか?
そうであれば、インターネット上にあるフリーの声にも何かがある可能性はある。であれば問題の道標もまた、そのひとつが少なくともGoogleにあるのかも知れない。