平和賞授賞式に出たい、夫の希望と劉霞さん

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行ったらどうなるかが、誰にとっても自明だとすれば、これほど分かりやすい国はないかも知れない。

 

民主主義における政権交代は、血を流さない革命に等しい。ある勢力に人が集結する、一人ずつ戦ったら、数の多い方が残る。だから、人を集めた時点で雌雄は決している。だから戦わなくてもいいよね、という話だ。

 

勿論、これには幾らでも反論があって、天才軍師がいれば数の問題ではないのである。そういう議論は成立する。そういう人にはそういう人なりの目論見があるので理解し合うは決して目的とはならない。

 

その観点に立つなら、中國は、未だかつて、血を流さずに王朝が変わった事はない。現政府も、そういう意味では、易姓革命の延長として成立していると思われる。

 

中華人民共和国、略せば、毛王朝か。この王朝の特徴は、世襲ではなく実力者が後を継ぐ事だ。これは、今風に新しいが、勿論、民主主義ではない。


科挙にとって変わったのが共産党という組織論という話になる。人事を共産党が握った。これは頂点から国の隅々まで支配する血液である。血液に乗って頂点に達する細胞がある。

 

中國には、中央政府と地方政府がある。人口10億人、巨大な組織構造がある。それが一律的に動く筈がない。機動的にして自律的であるはずだ。でなければこれだけの巨大なものがまともに動くとは思えない。どうしても中央集権的には限界がある。巨大化すれば地方分権的、連邦的になるのは自然の要求と思われる。

 

だから幾つも聞こえてくるニュースに関しては、どの政府の出来事かは注目しておく必要がある。

 

あれだけの大国である。しかも単純な独裁者が牛耳れる国ではない。どれだけの勢力があり、争っているか誰も知らないでいる。

 

巨大なピラミッド組織である。だからなんとか統制できている可能性がある。民主主義になったら、何がどう瓦解するか運動が複雑すぎて想定できまい。

 

中央政府の指示のもと、全てのが一斉に動いているのか、それは応答性から言っても難しい。巨大タンカーが曲がると決めてから実際に曲がり始めるまでにどれほどのタイムラグを必要とすると思うのか。慣性の法則は社会にもある。


中央の統制が効かなくなって、勝手に動きだす事は許されない。それが実は起きていないか、そういう見極めもしておかないといけない。

 

彼らが外征に勤しむ時、必ず、内政にも何かが起きている。豊かになっているから外征するのか、問題を抱えているから外征するのか。

 

兎角、国内の意見を一つに統一しようとしている様に見える。しかし、ビジネスマンなら分かるかと思うのだが、会議では常に対立する二つの意見がなければ、先に進まない。2つの対立軸が明白になって、初めて会議には開催する意味が生まれる。

 

つまり、そうしてやっと大勢の力で事に当たる必要が出来る様になる。一声で決まるなら、リーダだけで事足りる。それで国は治まるだろう。だが先に進むか?

 

今、ここには、中國に対する二つ以上の意見がない。危険だと喚くだけの意見しかない。それが本当に危険な事だと思ったりもする。

 

が、実はこれ国内問題ではないのか。中國は、ただのその触媒になってるだけじゃないか。中國の状況の最大は我々の恐怖心ではないのか、それを映す鏡に過ぎないのではないか。

 

今年のノーベル化学賞を枕詞にしてみる。