【2010参院選】民主、選挙区で惨敗 1人区は自民が21勝8敗で圧勝

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民主党の敗戦は、彼らにとっても新しい局面を生み出すだろう。何においても負け方が一番大切だせ。

 

比例では民主は1番の支持を得ている。しかし一人区での負けが大きい。東北、中国、四国、九州の各県、特に西日本。

 

この現象が解せない。雰囲気では、主産業が農業である県、老人が多い県で負けた感がある。

 

農家や老人への手厚い政策を実現しようとしたのが民主党であると思っていたのだが、この結果は、どうも違う。

 

消費税が負けた理由という声も、それは承服しかねる。消費税の話を始めますよ、と言ったら選挙に負けたと言う事だろうか?

 

鳩山由紀夫の迷走が問題だ、というが、党首交代時の支持率を見れば、それもどうも受け入れがたい。

 

説明する力が足りなかった、というのが本当の所じゃないか?ならば、ここから立ち直るには、説明で説得する事、これが一番有力だ。


どんな手段で来られても、説明する事でしのいでゆく。これは、国会が普通の言論の府になればいいだけの単純な話だ。

 

そこで何が説明か、何の説明か、という事が大切になってくる。

辞書には「よくわかるように述べること。ときあかして教えること。 」「ある事象がなぜそうであるかという根拠を法則からの演繹によって明らかにすること」とある。

 

これを要約すれば、意味は分かるが何かはよく分からない、という意味になる。説明の説明が分からない、それで説明と呼べるのか。

 

説明とは意味を伝えればそれで達成できるものではない。相手がいるから、相手が理解できないとダメだ、その上で理解しても納得しないとダメとなる。すると、納得とは何か、と言えば、相手の記憶に残る事、になる。


または、残らない事とも言える。相手が考える事を辞めた時が分かった瞬間である、とも言える。

 

「おりゃ、難しいことはわかんねぇ、でもお前のことは分かった。」

 

論理的に話をしたり、筋道を立てて説明したり、問題の背景を説明したり、無理無理。それは説明の本質ではない。つまり、説得の本質でもないという事。

 

説明の本質は記憶。記憶で重要なのは短くて印象に残る事。つまり個々人の脳の容量の問題に尽きる。

 

印象に残すための方法の一つは、驚かす事だ。思いもしなかった事で一瞬相手の心を占めてしまえば、それは残る。

 

発言する → 理解不能 → 理解する → いい人だ、という流れができれば、これは分かった、となる。

 

内容不要、理解不要、否定は禁止、頭がいいではダメ、馬鹿じゃない、と思わせる事。


キーワードを理解しようと脳内が空白になった所で、理解できる追い打ちをかける。つまり、民主党小泉純一郎の研究が圧倒的に不足していた、と言える。

 

それ論理的じゃないね、と言っても仕方がない。それでは説得できない。合理性がない、と言われてもそれは説明できない。

 

選挙結果は、そうなった。説明不足では勝てない。誰の印象にも残っていないから。論理的にとか、筋道でとか、そういうのは説明ではない。


理解してもらう、事は、説明ではない。それがはっきりした選挙である。国民を白痴だと思って説明してみなさい。難しい事を言っても理解はできないませんよ。たぶん、最初の1分で聞かなくなるから。

 

分かりやすいものを全面に出しなさい。表に出すなら分かりやすくしておきなさい。一言で言えないものは、説明ではないですよ。

 

相手のささやかな知性をくすぐる事も考えてください。あなたは馬鹿ではないですね、と言われたら嬉しいでしょう?俺は嬉しい。誰だって嬉しい。

 

感情的に拒絶された相手を説得するは困難ですから。長期計画と短期計画を決めないといけない。よって下調べはとても大切。ビジネスと何も変わらない。人の心を掴む事は同じだから。

 

こういう手法をプレゼンするノウハウはビジネスにもなっているだろう。プレゼンソフトとかテンプレートも作成できるだろう。「誰も言わなかった プレゼンの極意」みたいな本はあるだろう。

 

しかし論理が分かる事と実戦が出来る事は違う。その意味では、使い方を教えても使えるとは限らない。釣りを教えても、釣りが上手くなるとは限らない。

 

ともあれこれで政治は変わってゆくだろうし、変わらなければいけない。これは、とてもよい事だと思う。

 

国民との対話なぞ、意味がないと気付いた政治は票獲得のための政治を行うようになる。民主党は初めてその危機感を持つに至った。

 

大多数のための利益と対抗勢力への嫌がらせは、大切な手法だ。今回自民党を支持した勢力は、徹底的な弾圧をされるだろうし、すべきだ。

 

最高に説明上手なのがスターリンであった事は確かな事だ。スターリンの説明を聞いて分からないと答えたソビエト人は皆無の筈である。説明をしなくても説得ができる。理想的な状況ではないか。


政治とは、結局、恐怖で支持を得るものだ、というのは嘘じゃない。大きな勢力とは手を結ぶか、叩き潰すかのどちらかになる。それが最も単純だが最有力な方法だ。フラットであろうとした勢力は消えてゆく。

 

こうやって、政治家もたくましくなる。それはいいのだが、どう考えても、自民党と同じ逞しさを身に付けそうで、はて、おなじものが2セットあるだけなら、そこに二大勢力は必要?の解答がある。

 

二大政党が必要なのは、一つに泣きついてダメな時に、残りのもう片方に泣きつけるからだ。二つの勢力があれば、どちらとも対抗できる。それを選択肢にある事は一つであるより望ましい。二大政党制とは政治の独占禁止法である。

 

これ重要。