マスコミが大勢いる前で話しているのだから、記事にしてもらう事を前提にしていると想定される。例え雑談だとしても記事にされる可能性は排除していない筈である。それならオフレコと宣言する筈である。
防衛省に関する知識を流布してもらいたいという読みがあってか、敢えてそういう話をしていると考える方が妥当と思われる。
その上で、そうでないと思うなら、本当に知らないでいた、と思うのなら、どうしてその場で取材しないのか?これは本当に大切な話ではないのか?
そこには、総理大臣に資質が欠けている以上に、毎日新聞のこの記事を書いた人には、ジャーナリストとしての資質が欠落している。欠陥品と呼称して差し支えない。毎日、新聞に余白を作らないのが仕事ならそれも仕方ないか。
「昨日予習したら防衛相は自衛官ではないそうだ」
これはクイズの知識かも知れない。自衛官でないと言われれば当然な気もする。シビリアンコントロールからいって自衛官である必要はない。暗に軍部大臣現役武官制を匂わせたとしても少し難しい。
「改めて法律を調べたら首相は自衛隊の最高の指揮監督権を有すると規定されている」
これは危機管理に直結する話である。阪神大震災時の村山総理の事件も体験しているから、知らないとは、考えにくい。
と認識不足ともとられかねない発言をしたため、
認識不足ともとられかねない、とはまた暢気な新聞社である。そう受け取ったのは新聞記者であって、懸命な国民でもそれを発した首相でもない筈である。その当然さも分からないで記事を書く恐怖。厚顔無恥でない限り、怖くて書けない。
まず首相に就任した時点でこういう説明は受けていないとおかしい。その時点では知らなくても総理大臣という特別な役職に就いた時点で官僚等から説明する仕組みが存在するはずである。これは組織論の問題であって、個人の資質の問題ではない。
敢えて認識不足と取られるような記事を書いている記者では一生を掛けても理解できないと思う。無駄な一生、無意味な人生、もし本当にそうならもっとしっかりと首相に取材すべき案件であろう。
会談終了後に折木幕僚長が「冗談で、指揮官の立場は十分自覚されている」とフォローする一幕もあった。
「冗談」と「フォロー」を組み合わせれば、冗談ではない、と記者が意図している事が明らか。「冗談で、~」と笑って語っていた、という記事と比較してみればいい。
冗談なのか、本当に知らないでいたのか、は重要ではないか?なぜ、こんな重要な話を噂話として流して終わりに出来るのか?
もっといえば、こんな重要な話を大臣になった時にレクチャーする仕組みがないとは考えられない。それは構造欠陥である。
個人の資質がどれだけ優れても、総理大臣の仕事の全てを法律的にも業務的にも慣例にも網羅しておく事などできない。総理になった時にそれらをレクチャー、教育、引き継ぎが必要なのは自明である。
その辺については、本記事を書いた記者は、どう考えていたのだろう?この国には、噂や風説を信じる輩は腐るくらい居る。
当然である。どこにも腐ってない奴などいない。生きるとは腐ると再生の繰り返しである。体の皮膚は腐りはげ落ちてゆく、その代わりとなるものが再生してくる。腸は常に剥げ落ち、再生を繰り返す。
毎日の落書き、そう呼んで差し支えない。