フェリシモの『ともにしあわせになるしあわせ』

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「そうでございます、お代官様。

 

愛と平和を標語させておけば、幾らでも民草が来てくれます。善意として10銭でも20銭でも寄付してくれます。

 

この前など、ボロを来た小さな子までが1文銭を握りしめてきましてな。私はもう、涙を禁じ得ませんでしたわ、オッホッホッホッホッ。

 

子供の笑顔の写真を貼っておけば、もう、幾らでも。最近では、ここにきての環境だの持続性だのが流行っておりましょう。植林と称して、木を植えるだけで、これまた人が集まります。

 

貧乏な国でタダ同然の苗木を植えようとすれば、ボランティアと称して、これまた人が集まります。

 

人間の善性こそが金のなる木でございます。笑いが止まらんとは、この事ですよ、お代官様。」

 

これを見れば、この越後屋、確かに悪人面であります。人相も極めて悪いと言って差し支えありません。

 

しかし、よく考えてみてください。時代劇で悪退治される典型的な越後屋でありますが、彼らの商売はよく繁盛していますし、殆どの越後屋で働く人達も生き生きとしております。

 

つまり、労働環境としては決して悪くはないのです。やりがいのある仕事を皆のものにさせている。それで商売も軌道に乗せている。

 

しかも、代官とも円滑な人間関係を築いており、商売人としてもそう悪いセンスはしておりません。確かに山吹色の餡子をやり取りする事もあります。しかし、それは現在でも大企業が政治家に対してやっている訳で、現行法でも違法とまでは言えない。きちんと処理しない代官が悪い。

 

しかもこの時代も賄賂は悪という観念が広くいき渡っている。そういう中で使途不明金を大量に用意できるとも思えない。あの賄賂がはした金とすれば相当な売上を叩き出している訳で、そういう経済的価値を持っているなら代官だけとの付き合いで済む訳がない訳です。

 

確かにたまに誰かを桶の水につけたりして拷問しているシーンもありますが、それでも殆ど離れの防音施設もないような1Fでやっている訳で隠す気などない。声が漏れない訳もなく、すると、あれは周囲の人もそれなりの理解をしているという事になる。

 

そういう状況にあるのに、何故か、本人が悪い顔をして笑いが超キモい、というだけで退治されてしまう。

 

誰かに証拠を捏造されている冤罪としか思えません。恐らく、退治される代官の政敵が暗躍していると考える方が妥当でしょう。そこに黄門さまが現れる訳ですから渡りに舟な訳です。それで問答無用の処罰ですから、運の悪い以外の何がありましょうか、越後屋です。